YAMAHA TECH21

熱狂の時代
1990

16万人を熱狂させたTECH21の勝利

1985年から6大会目を迎えた1990年。年々増え続けた観客数はこの年にピークを迎え、決勝だけでおよそ16万人が詰めかけた。「#21 SHISEIDO TECH21 レーシング」は平忠彦とエディー・ローソンのペア。ローソンは当時すでに世界選手権GP500のタイトルを4度獲得しており、ヤマハに復帰したこの年もGPに参戦していた。しかしシーズン序盤のアメリカGPでの負傷後は欠場が続き、タイトル獲得の道からは大きく逸れていた。そんな折、彼は1980年以来となる8耐参戦を決意した。

1980年、ローソンはカワサキZ1を駆り8耐で2位となっているが、平もこの年プライベートチームからCB750Eで出場して39位で完走している。平はその時のローソンを覚えており、「スプーンの入り口でラップされるとき、接触しながら追い越されたのだが、その時ちゃんと手をあげていった。マナーのいいライダーだと思った」と。それから10年、ふたりはそれぞれの道を歩んできたが、この年パートナーとして鈴鹿に登場したのだ。

迎えた木曜日のフリー走行。1986年のデイトナ200マイルレースでFZ750を駆り優勝して以来、4年半ぶりに4ストロークに乗るローソンだったが、16秒20をマーク。その初日のタイムにチームは期待を寄せた。金・土と2回行われた予選はその期待通り、平が15秒819、ローソンは13秒520を記録。ローソンは、マイケル・ドゥーハン(ホンダ)に次ぐ総合2番手タイムを得る。ただスターティンググリッドは、タイム順ではなく予選A・B組から交互に組まれたのでグリッドは3番手となった。

決勝は平がTECH21ではじめてスタートライダーを務めた。スタート直後に集団にのみ込まれたが1ラップ目で9番手まで挽回、1回目のライダー交代時には3番手まで浮上した。セッションを終えた平は「マシン、自分ともにまったく問題ない。暑さにも慣れたのでこの調子でいけそうだ。途中、若干タイムにムラがあったのは周回遅れがいたためで、暑さのためではない。今後、コンスタントに17秒台でいける」と手応えを口にした。そしてレースは、ワイン・ガードナーとドゥーハンのペア、そしてTECH21の一騎討ちの様相となっていく。

場内で大きなどよめきが起こったのは、序盤から中盤に入ろうとしていた頃だった。ガードナーがシケインで転倒したのだ。すぐにマシンを起こしピットに戻ったが、その間にローソンの駆るYZF750がトップに浮上し、1分以上のアドバンテージを築いた。そしてローソンから平へマシンが渡る。「暑さもきつくなってきたが、注意したのは例年以上に多い周回遅れ。自分の受け持ち時間としては半分を消化したが、油断せず自分のペースを守りながら後半もがんばるだけ」と、平は2回目の走行も無事にこなした。

レースに復帰したガードナーはその頃、トップを奪還しようとペースアップを図っていたが、それが影響してか15時27分ごろヘアピン付近でマシンを止めることとなる。原因はガス欠だった。この状況にローソンは、「ガードナーがリタイアしたことで気持ち的に楽になった。だからこそこれからはより注意深く様子を見ながらレース運ぶ」と2回目のセッションを終え話したが、その後はTECH21を追うマシンは現れぬまま、終盤に入っていった。

一方の平は、さらに慎重だった。「気温も下がり水温もやや下がって、マシンにとってはよい状況。でもまだ油断せず自分の走りに集中する。集中力が一番大切なんだ。次も1周1周を大事に走ることを心掛ける」という言葉を残し最終セッションに臨んだ。そして平は18時30分過ぎ、残り1時間を切ったところで、ローソンに無事YZF750を繋いだ。

すでに2番手の宮崎祥司/故大島正組(ホンダ)との差は2ラップに広がっていた。ローソンは、GP譲りのスティディな走りで夕闇の中を駆けていく。モニターに映るヘッドライトの輝きも滑らかだ。そして19時30分、スプーンコーナーを過ぎた#21の姿が映し出される。ピット裏では気の早い誰かが缶ビールに添えた指に力を込めていたが… それと同時にメインスタンドから大歓声が沸き起こり、その中をローソンが駆け抜けていった。

1985年、19時のリタイアにはじまり4度にわたって苦渋を飲むこととなった平の悲劇は、優勝という最高の形で終止符が打たれた。「SHISEIDO TECH21」にとって1987年に続く2度目、ヤマハにとっては3度目の8耐優勝だ。またこの年は、YZFで出場の故永井康友/加藤信吾組(Y.R.T.R.)が4位、町井邦生/藤原儀彦組(NESCAFE RT YAMAHA)が5位と、ヤマハファクトリーの全車が上位入賞を果たしたのだった。

レース終了後、ヤマハのリリースがプレスルームで配られたが、そこには優勝直後のライダーたちの談話が載っていた。

平忠彦談「もう何しろうれしいだけ。自分の最後の走行のラスト15分くらいは、6年間のいろいろなことが頭をよぎり心配で心配でしょうがなかった。スタッフ、ファンのみなさんに感謝」

エディー・ローソン談「GPでは何度も勝ったけど、8耐で初めて勝ててうれしい。僕が平の夢の達成を助けたのではなく、彼自身が自分でやり遂げたのだ。彼はマシンの性能を十分生かし、完璧な走りをした」

1985年から6年に渡る「SHISEIDO TECH21」劇場は、30年が経とうという現在にあっても色あせることなく語り継がれている。平忠彦、多くのGPライダー、ファクトリーマシン、数々のライバル… そして何よりも圧倒的な熱量を持ち、目を輝かせたファンの存在こそが「熱狂の時代」を築いたのだ。

2019年は、「YAMAHA FACTORY RACING TEAM」が当時の「SHISEIDO TECH21」とともに5連覇へ挑戦する。あの頃の世代、新しい世代のファンとともに、もう一度、後世まで語りついでいきたくなる物語を生み出すために。

鈴鹿8耐決勝は16万もの観客が集結。その多くがバイクで来場
1990年型のYZF750は、再びカラーリングを変更して登場

SHISEIDO TECH21で5回目の鈴鹿8耐チャレンジに向かう平
ローソンの13秒520で決勝は3番手を獲得

燃料の高温化対策を施したYZF750とスタートライダーを務める平
決勝、大観衆の目が注がれる中、ル・マン式スタートを行う平

過去のアクシデントを思い、慎重に周回を重ねた平
大きなトラブルなく順調に進んだピットワーク

酷暑のプラットフォーム、当時は日よけのパラソルもフェンスもなかった
GP譲りのステディな走りを披露したローソン