YAMAHA TECH21

熱狂の時代
1987

残り5分の逆転、TECH21チームが初優勝も…

1987年、ヤマハは8耐本格ファクトリー参戦3年目で初優勝を飾った。#21 SHISEIDO TECH21 レーシングチームのマーチン・ウイマー/ケビン・マギー組が終盤の逆転劇で優勝したのだ。しかし、TECH21の代名詞である平忠彦の姿は表彰台にはなかった。怪我で出走できず監督として参加していたからだ。

この年、平は昨年の世界選手権GP250からGP500を主戦場としており、国内レースには参戦していなかった。鈴鹿8耐の前哨戦である6月の鈴鹿200kmレースも含め… しかしトピックがあった。ヤマハは鈴鹿200kmレースに片持ちリアアームを採用したファクトリーマシン「YZF750」を投入し、マギーに託した。ピットイン・給油もある34周のこのセミ耐久でマギーは健闘し、後続に大差をつけてトップフィニッシュ。8耐に照準を合わせる精力的なヤマハチームの姿勢を示した。

準備万端に見えたヤマハだったが、8耐前週のフランスGPで平が負傷というバッドニュースが舞い込んできた。ウィークの木曜日に練習走行を走って様子をみたが、首の状態は風圧に耐えられるものではなくライダーとしての出場を断念し、監督としてピットを守った。ピンチヒッターは、平と同じマールボロチームで前年GP250走り、気心知れたウイマーが選ばれ、マギーとのペアで出場することになった。

迎えた決勝。トップを走るワイン・ガードナー/ドミニク・サロン組(ホンダ)が転倒リタイア。これでギャリー・グッドフェロー/高吉克朗組(スズキ)がトップに立ち、#21 SHISEIDO TECH21 レーシングチームが追い上げる展開となった。マギーの強烈なブレーキングで、熱膨張したパッドがキャリパーから離れずタイヤ交換に手間取る場面もあったが諦めることはなかった。暗闇が迫る頃、チームは大胆な作戦に出る。ライバルとのギャップを鑑み、ウイマーに代わり、マギーがタイヤ交換なしで連続して走行する作戦をとる。

残り45分でトップとの差は約20秒。マギーはトップより0.5〜1秒ほど速かったが、逆転するためには微妙な残り時間だった。ラスト10分、2台の差は10〜11秒差。当然のようにトップを走る高吉へのサインは「↑」(タイムをあげろ!)という内容のものだった。そしてラスト5分、198周目の第2コーナーでアクシデントが起こる。周回遅れをかわそうとした高吉が転倒したのだ。その脇をマギーが通り過ぎていきチェッカー。ヤマハがラスト5分の逆転でついに8耐初優勝を飾ったのだ。

チームのピットとヤマハファンは熱狂的に沸いたが、転倒後に復帰し2位でゴールした高吉に対して、この日一番の声援がおくられた。さらに歓喜の表彰台に平の姿がないことで、ファンの胸中にはどこか満たされないものが存在していた。そして平が優勝トロフィーを掲げる姿を見たいという欲求がさらに膨らんでいくこととなる。

決勝スタートを務めたのは、黄色の腕章をつけるマギー
前週のフランスGPの怪我により参戦を断念した平は監督として参加
片持ちリアアームのYZF750を駆るマギー
コンスタントな走りを見せた西ドイツ出身のウイマー
マギーからウイマーに交代
炎天下の中で熱戦を見守る大観衆
ピットロードでライダー交代を待つウイマー
オレンジ色の熱い路面を駆るYZF750とウイマー
夕陽に向かって走るマギー
栄光のチェッカーを最初に受けたのは#21