己と戦い続け、己に打ち克つこと
「今年はいつもと違う気候だね」とライダーたちは繰り返した。YAMAHA FACTORY RACING TEAMが2連覇を達成した2015年と2016年は、「真夏の祭典」という呼称にふさわしい真夏日の中、鈴鹿8耐の決勝レースは行われたが、今年は様子が違った。レースウィーク中もさほど気温が上がらず、決勝日も朝から雨だった。9時過ぎにはいったん上がったものの、関係者たちはスマートフォンで最新の天気予報をチェックしては「また降るかもしれない」と空を見上げた。「何が起こるか分からない」と言われる鈴鹿8耐の中でも、天候はまったく人智が及ばない。誰もがドライコンディションで疾走できる8時間を望みつつ、雨雲をにらむばかりだった。
午前10時40分、スタート50分前。レジェンドライダーたちの先導によりサイティングラップが始まった。夏の熱が路面を乾かし、コースは完全にドライコンディションとなった。セレモニーが進められる中、レースへの準備が着々と整えられていく。海から吹く風がコースを渡る。雨雲を湧かせる風を受けながら1周のウォームアップラップを終えたマシンが、スターティンググリッドについた。そして11時30分、40回目の鈴鹿8耐がスタートした。
クリーンなスタートが切られた。#21 YAMAHA FACTORY RACING TEAM 中須賀選手もスムーズかつ力強くYZF-R1を発進させ、オープニングラップは3番手。2周目には#634 MuSASHi RT HARC-PRO 高橋巧選手の背後に迫り、2番手に浮上した。レース序盤をリードしたのは、#634、#21、そして#11 Kawasaki Team GREENのレオン・ハスラム選手の3台だ。接近した白、青、緑のマシンが鈴鹿8耐を引っ張っていく。中須賀選手は高橋選手の真後ろにつけながら、前には出ない。
7周目を過ぎた頃から西コースのカメラには雨粒が付き始め、徐々に路面が濡れて黒くなっていく。16周目、いったん中須賀選手が前に出たが、ペースを上げようとしない。2周後には再び高橋選手がトップに立つ。雨が降ってペースが落ちても、周回遅れに行く手を阻まれても、コンマ1秒前後のわずかな差を保ったまま、中須賀選手は2番手を走り続ける。お互いの出方を探りながらの、極めて高度な神経戦だ。
2台はほとんどひとつの塊のようになって、周回を重ねていく。レースウィーク中の各セッションで好調を見せつけながらも、中須賀選手はライバルへの警戒を解くことはなかった。その通りに、決して楽な展開にはならなかった。23周目の日立オートモーティブシステムズシケインで高橋選手が周回遅れに引っかかり、それを避けるように中須賀選手が前に出た。
雨が上がり、ハイペースに戻る。高橋選手も、中須賀選手の背後からまったく離れない。中須賀選手が走らせるYZF-R1は、やや挙動が大きくなっていた。余裕があるわけではないのだ。スタートから1時間を経過して、予定通り中須賀選手がピットインした。18秒のピットストップを終え、コースに戻ったのはアレックス・ローズ選手だった。その直後、後方車両の転倒によりセーフティーカーが入った。それを見計らったかのように高橋選手がピットインする。ジャック・ミラー選手に交代した#634はローズ選手と同グループに復帰し、僅差のトップ争いが続行することとなった。
12時40分、レースがリスタートした。周回遅れを含めて大きな集団が形成されている。真っ先に抜け出したのはミラー選手だ。ズバズバと周回遅れをパスしていくミラー選手を、ローズ選手は無理に追おうとしない。余裕を保ちながら、徐々に間合いを詰めていく。第1スティントの高橋選手、中須賀選手と同じように、やがて白と青の2台は接近した。1秒以下の差を保ったまま、ローズ選手は2番手を走行し続ける。じっくりと15分をかけてローズ選手がトップに立つと、じわりじわりとミラー選手を引き離し始めた。
昨年、ヤマハライダーとして初めて鈴鹿8耐に参戦したローズ選手は、手堅い走りでチームの優勝に貢献した。自信を携えた今年、その走りは昨年以上に力強さを増している。後続より常に速いラップタイムをマークしながら周回し、4〜5秒差を築くと、予定通り57周目にピットインした。16秒でピット作業を終えると、マイケル・ファン・デル・マーク選手がコースに復帰する。その直後には、#634 MuSASHi RT HARC-PRO. Hondaの中上貴晶選手がつけていた。
ヤマハでは初参戦となるファン・デル・マーク選手は、今回、中須賀、ローズ両選手のサポート役に徹していた。しかし、自身でも2度の鈴鹿8耐優勝経験がある実力者だ。安定したペースでYZF-R1を走らせながら、周回するにつれて少しずつ2番手の中上選手との差を広げる。残り5時間20分、ヘアピンカーブで中上選手が転倒し、2番手は#5 F.C.C.TSR Hondaとなった。トップを走るファン・デル・マーク選手は、その1分20秒以上前を走行している。「スプリント耐久レース」とも称される鈴鹿8耐では、もはや十分過ぎる差だった。
中須賀選手が、降雨によってやや荒れた展開となった第1スティントで力強い走りを見せた。セーフティーカーの導入によって一時は2番手となった第2スティントも、ローズ選手が余裕を持って首位を奪還した。そして第3スティントはファン・デル・マーク選手が後続を徐々に引き離し、首位の座を盤石のものとした。「3人の実力が拮抗していれば、焦る必要がない。無理することもない。それが勝つために重要なんです」と中須賀選手は語っていたが、まさにその通りの展開となった。互いに尊敬し合い、信頼し合えるからこそ生まれる、王者の余裕。3人が1回ずつの走行スティントを終えた時点ですでに十分なリードを築いた後は、ただ「自分たちのやるべきことをやるだけ」だった。
トップを快走する#21 YAMAHA FACTORY RACING TEAMの後方では、#7 YART Yamaha Official EWC Teamが虎視眈々と上位進出を狙っていた。3時間終了時点で6番手。エースライダーのブロック・パークス選手は「与えられたパッケージの中でベストを尽くすよ」と語ったが、チームの実力を存分に見せつけていた。
#94 GMT94 YAMAHAはEWC(世界耐久ロードレース選手権)のチャンピオン争いをしており、1点差でライバルを追う立場だ。チャンピオンシップを競い合うライバルを序盤からリードし、さらに着々とポジションを上げていく。王座を目前にしながらも、手綱を緩める気配はなかった。
レース序盤の雨を乗り切ると、もはや#21 YAMAHA FACTORY RACING TEAMを止めるものはなかった。スタートからの時間が経過すると同時に、3連覇が近付く。ローズ選手は自らの2度目のスティントで2分6秒932という予選並みのタイムを叩き出し、2番手以下を大きく突き放した。こうしてタイミングモニターの最上段に名を刻み続けられるのは、2連覇を達成した翌日の2016年8月1日から、チームがこの日──2017年7月30日──に向けて周到な準備を進めてきたからだ。最高のマシン、最高のライダー、そして最高のチームを組み上げてきた彼らにとって、頂点に表示され続ける21というゼッケンナンバーは、自分たちの1年間が正しかったことを証明していた。
残り37分でセーフティカーが入った。それも#21 YAMAHA FACTORY RACING TEAMには影響を及ぼさなかった。午後7時30分、#21をつけたYZF-R1は、いるべきポジション、最上位でチェッカーフラッグを受け、40周年の鈴鹿8耐を制した。#94 GMT94 YAMAHAはチームとして3度目となるEWCチャンピオンを獲得した。そして#7 YART Yamaha Official EWC Teamはリヤまわりにトラブルが発生していたが5位完走を果たし、EWCチャンピオンシップでも3位となった。
終始冷静さを貫いたYAMAHA FACTORY RACING TEAMだったが、3連覇を達成してついに心からの喜びを爆発させた。冷静であり続けるためには、長期間にわたる綿密な準備と、いかなる好調にも気を抜かない緊張と、そしてライダー同士はもちろん、チーム全体を包み込む信頼が必要だった。それらが、いつ彼らに襲いかかってもおかしくなかったあらゆるネガティブファクターを退けた。
そして彼らは、表彰台の頂点に立ったのだ。栄光のフラッシュと賞賛を浴びながら、中須賀選手は「この景色を見るために頑張ってきたんですよ!」と感慨深げに言った。昨年の勝利から1年にわたって追い求めてきた「青の真価」は、己と戦い続け、己に打ち克つことだった。例えいつもと違う鈴鹿8耐でも、勝利への方程式は変わらない。