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ファクトリーチームというものの正体

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走行を終えてヘルメットを脱いだライダーは、矢継ぎ早に語り始める。YZF-R1のフィーリングはどうか。セッティングの方向性はどうか。コースコンディションはどうか。どのコーナーでどんな挙動を示すか。ブレーキングは? 加速は? その言葉をひと言も漏らさぬよう、ライダーのすぐそばで耳をそばだてているのが、チーフエンジニアの岩田雅彦だ。

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岩田は、ライダーのコメントに基づきマシンセットアップの方向性を決める。極めて重要な役割だ。岩田の指示に従い、メカニックがマシンを調整する。調整されたマシンを再びライダーが走らせ、ピットに戻ってコメントする。岩田がそれを聞き、マシンをセットアップする。鈴鹿8耐の決勝レースまでの間、この作業は延々と繰り返される。そしてライダーのフィーリングにフィットし、ターゲットタイムを出せるマシンが作り上げられていく。

もともと二輪レースに興味はなかった。学生時代の友人がレースを始めるというので、見に行って「面白いじゃん!」とすっかり取り憑かれた。「やるなら、やる」。機械工学を学んでいた大学をきっぱりと辞めてしまい、バイクショップに出入りするようになった。「働かせもらえます?」と尋ねると「いいよ」と軽い返事が返ってきたので、そのまま勤めた。80年代半ば、日本で二輪レースが盛り上がり始めた頃の話だ。

そうこうするうちに、「ヤマハがロードレースのメカニックを探している」という話を聞き、面接を受けると、採用された。やがてヤマハの社員となる岩田だが、当時は日当が支払われる「契約メカニック」。それでも、プライベーターメカニックだった岩田にとって、憧れのファクトリー入りだ。驚かされることばかりだった。

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「何が違うって、すべてが違いましたね。ひと言で言えば、勝利に懸ける意気込みが違う。予算規模も違うし、スタッフの数も違い、出てくるアイデアの量や質も違えば、それを形にする能力も違う。本当に、すべてが違うんです(笑)。

そして何よりも、経験値が違いました。ファクトリーには歴史があって、凄まじい量の試行錯誤がある。それらがすべてしっかりと記録され、理論的に積み重ねられていたんです。私がヤマハのメカニックになった時には、もちろんペーペーだったわけですが(笑)、目の前には過去から受け継がれてきた経験がありました。これはもう、全然違います」

最初のうちは失敗もしたし、叱られもした。しかし3年、4年と月日が流れるうちに、ヤマハ・ファクトリーのやり方が身に付き、馴染んでいく。工具の持ち方や使い方は、先輩メカニックの作業を見て、自分で学んだ。最初はうまくできなかった作業が、徐々に正確さを増す。

「怖い先輩ばかりでしたし、昭和ですからね、具体的には何も教えてもらえない。むしろ、隠されたりする(笑)。"自分でつかめ"という時代でしたよ。でも、やっていれば、何とかできるようになるものです。......というか、やらざるを得ない(笑)。でも先輩方は、コッチが何をやっているか、何を考えているかを、しっかり見てくれているんです。褒めてはもらえませんよ。できて当たり前、という世界ですから」

「できて当たり前」。常に結果が求められるからだ。極めてシンプルに、勝つことだけがファクトリーチームの命題だ。2位以下は敗北を意味する極めて厳しい環境が、岩田を鍛え上げていく。

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「そりゃあそうですよ。追い込まれますからね。人間、追い込まれることで能力を発揮するっていう面があると思うんです。技術的にも精神的にも、追い込まれて、壁を乗り越えて、今までとは違う自分になる。ファクトリーチームでのレースは、この繰り返しです。それが会社の経験として積み重ねられていくから、どんどん強くなる」

全日本ロードレース、世界グランプリ、そしてMotoGP。舞台は移ろい、岩田もメカニックからマシンセットアップの方向性を決めるチーフエンジニアになっていた。2013年には全日本ロードで中須賀克行選手を担当し、2015年、彼とともにYAMAHA FACTORY RACING TEAMとして鈴鹿8耐に乗り込んだ。

「できて当たり前」、つまり「勝って当たり前」という岩田の姿勢は、もちろん、鈴鹿8耐でも貫かれた。中須賀選手は全日本ロードJSB1000クラスで5回チャンピオンを獲得していたが、鈴鹿8耐の表彰台はなかった。チームメイトはMotoGPライダーのポル・エスパルガロ選手とブラッドリー・スミス選手。MotoGPでは活躍していたが、鈴鹿8耐に参戦するのは初めてだ。

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岩田は、どのライダーにも分け隔てなく接し、チーフエンジニアとして自分のやるべきことをやる。これは岩田に限らず、ファクトリーチームのライダー、そしてスタッフの全員の当てはまることだ。言葉にすれば「ベストを尽くす」というシンプルさだが、精度が極めて高い。それを証明するかのように、2015年の鈴鹿8耐で1996年以来19年ぶりの優勝を果たし、以降も連勝した。

今年は6年ぶりにファクトリー体制での鈴鹿8耐参戦だ。「正直、つらいですよ」と岩田は率直だ。長丁場であり、1台のマシンを3人で走らせる耐久レースは、スプリントレースに比べるとやるべきこと、考えなければならないことが多い。

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「つらいし、大変です。でも、私たちはファクトリーチームですからね。勝って当たり前、という姿勢で臨んでいます。それはしかし、正直に言って、どのメーカーも同じでしょう。どのメーカーも勝つつもりで臨む。そこには、どうしても勝ち負けが発生する。だからこそ、技術が進歩していくんですよ」

勝てばその勝ち方を振り返り、勝利の方程式が蓄積される。負ければ反省をバネに、新たな知見が蓄積される。勝つか負けるかという結果に関わらず、膨大な経験が貯えられ、伝承され、活用されていく。その連綿とした営みこそが、ファクトリーチームというものの正体だ。

来年の4月、岩田は定年を迎える。しかし長きにわたってヤマハでメカニックを、チーフエンジニアを務めてきた岩田の体験と経験は、ヤマハの中にしっかりと息づき続ける。「そんな大げさなものじゃないですよ」と岩田は笑う。実際、ヤマハファクトリーの歴史の中では、ささやかな1ページかもしれない。しかし岩田の先輩たちが紡ぎ、そして後輩たちが紡ぎ上げていくこの辞書は、とてつもなく分厚く、充実している。

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岩田雅彦

1987年、契約メカニック(当時)としてヤマハファクトリー入り。以降、メカニック、そしてチーフエンジニアとしてチームの要となり、ロードレース活動を支え続けている。

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