LEGENDARY MACHINES
これまでに、鈴鹿8耐を彩ったヤマハのマシンを紹介します。
1985年4月、発売された市販モデル。エンジンや車体を含む全ての構成をひとつのユニットとして捉え、人車の一体感を追求するヤマハの技術思想「GENESIS」(ジェネシス)が具現化された初のモデルで、国内外向けに3万9千台が生産された。水冷4ストロークDOHC・直列4気筒5バブルエンジンを搭載。
当時国内レースでは、500ccと並びTT-F1が最高峰クラスとなっていた。このTT-F1にヤマハはFZ750と同時開発のファクトリーFZR750を投入、開幕戦鈴鹿2&4でポールを獲得し高い性能を示し、同年の鈴鹿8耐では残り30分までトップを独走していた。一方、ベースマシンFZ750の優れた性能は、1986年3月のデイトナ200マイルでエディ・ローソンが証明した。
1984年GP500の世界タイトルを手中にしたローソンは、しかし翌年F・スペンサー(ホンダ)にタイトルを奪われ、タイトル奪還に燃えていた。ローソンはGP前哨戦となるこのデイトナ200にFZ750で出走。ヤマハ社員が日本から持ち込んだ新品エンジンを搭載したFZ750を駆るローソンは、K・シュワンツ(スズキ)やW・レイニー(ホンダ)と白熱したバトルを展開しながらリードを広げ、レイニーがタイヤトラブルで後退してかららは独走、200マイルを走りきり優勝。2度目GPタイトル獲得へ弾みをつけたのだった。
そしてFZ750は、市街地から峠道、ツーリング、サーキットまで幅広いシーンでユーザーから支持されていく。1988年に始まったWSBでもスチール製フレームのFZ750は、アルミ製フレームのライバル車と互角の走りを見せた。FZ750を駆ったファビリツィオ・ピロバーノ(伊)はこのWSB初年度、F・マーケル(ホンダ)に次ぐランキング2位となっている。