LEGENDARY MACHINES
これまでに、鈴鹿8耐を彩ったヤマハのマシンを紹介します。
吉川和多留/辻村猛組が4位となったマシン。YZF-R7は1999年にレースデビュー、吉川の走りで同年全日本SBのチャンピオンマシンとなっていた。そのYZF-R7にとって4年目の8耐。この年、「YSPレーシング&プレスト」が新たに結成され、吉川/辻村のふたりが全日本SBにYZF-R7で参戦していたが、そのコンビネーションを活かしての参戦。この年は、主力カテゴリーのSBに加え、SP、ST、S-NK、JSB、PT(プロトタイプ)と、過去最多の6カテゴリーのマシンが出場した。
#1のYZF-R7を駆る吉川/辻村組は予選グリッド6位からスタート。レース序盤は、梁明/加賀山就臣組(スズキ)、加藤大治郎/C・エドワーズ組(ホンダ)など4台がトップ集団を形成、吉川/辻村組はその後方につけ、高い路面温度のなか慎重にラップを重ねると、5番手から4番手へと順位を上げていった。しかし給油回数7回の#1マシンは、給油6回作戦をとったホンダ勢との差を詰めることは出来ず、前半からトップに立った加藤組がトップでゴール。吉川/辻村組はこれに2周遅れの217周・4位でチェッカーを受けた。翌年からは競技規則が変更され、YZF-R7はYZF-R1へとバトンタッチしていくのだった。