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ヤマハ発動機株式会社

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2012 鈴鹿8耐 スペシャルサイト トップページへ

LEGENDARY MACHINES

これまでに、鈴鹿8耐を彩ったヤマハのマシンを紹介します。

1990年:YZF750(0WB7)

平忠彦が世界GP500ccチャンピオンに4回輝く王者エディ・ローソンと組み、ヤマハ3度目の8耐優勝を成し遂げたマシン。限定発売のFZR750R(OW01)をベースとしたファクトリーマシンで、エンジンは高回転化・小型化が施されていた。30度前傾でエンジンが搭載されたフレームは、ステアリングヘッドが低く、ピボット位置が前方へ寄せられているのが特徴だった。カウルには、優勝を祈念するファン1,000人の名前があった。

残り30分のところで8耐優勝を逃した1985年の平忠彦は、その後は茨の道が続いていた。クリスチャン・サロンと組んだ1986年は4時間30分経過時にトラブル発生。1987年は前週のフランスGP予選中に転倒して首を痛め、フリー走行は走ったが決勝は監督としての参加。1988年はマイケル・ドゥーハンと組み、終盤は3位に付けたがラスト10分でトラブルが起き、9位の周回数196周を記録するもチェッカーは受けられなかった。1989年はジョン・コシンスキーと組むが2番手争い中の5時間経過頃にトラブル・・・と試練が続く。

そして、ついに勝利の女神が微笑んだのが1990年。エディ・ローソンと組んだときだった。予選は2番手。平はTECH21での参戦では初めてスタートライダーを務める。スタートでは少し出遅れ1周目は9番手。それでも1回目のピットイン時には3位まで挽回。序盤に先行するワイン・ガードナー(ホンダ)が転倒するとトップに浮上、その後は一度もトップを譲ることなく、205周の新記録で優勝。平とTECH21のカップルは、6度目の挑戦で雪辱を果した。ローソンにとっては、2位となった1980年以来、2度目の8耐参戦での初優勝だった。

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