LEGENDARY MACHINES
これまでに、鈴鹿8耐を彩ったヤマハのマシンを紹介します。
1985年の8耐は、ヤマハファクトリーの本格参戦により空前の盛り上がりを見せた。焦点は「YAMAHA TECH21 レーシングチーム」、平忠彦、ケニー・ロバーツ(米)選手組の出場だった。この年、全日本V3 獲得に向けて好調な走りを見せていた平と、3年連続GP500cc世界チャンピオンのペアが注目の的となっていた。マシンはこの年デビューしたばかりの市販「FZ750」ベースに開発のFZR750(0W74)。水冷DOHC直列4気筒5バルブエンジンは、専用開発アルミ製デルタボックスフレームに搭載された。
一線を退いてからのブランクを心配する声をよそに、鈴鹿初登場のロバーツは予選で唯一2分20秒をきる19秒台を叩き出しポールポジションを獲得。スタート時の始動に手間取り最後尾からの追い上げとなるが、インからアウトからと次々に先行車をパスすると10周目に6番手に。15周目に4番手、1時間経過後には3番手にあがっていく。そして、約3時間経過の67周目からはトップを独走。
夕闇の頃には2番手に1分30秒ほどの差をつけていた。会場にいる誰もが「#21の初出場・初優勝!」を予想し始めていた6時58分、マフラーから放出されるガスに白煙が混じっていた。その時マシンを操っていた平は、コントロールライン直前で停止する。結局182周、順位上は17番目だったがチェッカーを受けることは出来なかった。その日からTECH21ヤマハと平の“雪辱を果す”挑戦が始まっていった。