LEGENDARY MACHINES
これまでに、鈴鹿8耐を彩ったヤマハのマシンを紹介します。
TT-F1の排気量上限が750ccとなった1984年。マイク・ボールドウィンやフレッド・マーケル、ドミニク・サロン、パトリック・イゴアなど欧米の強豪(いずれもホンダ)が参戦するなか、日本人チームがどこまで海外勢に肉薄できるかがひとつの焦点となっていた。ヤマハは市販モデル「XJ750E」をベースに耐久仕様のファクトリーマシンを開発して投入。直列4気筒エンジンは専用設計のアルミ角パイプフレームに搭載され、駆動方式は市販状態のシャフトドライブからチェーンドライブに変更された。
当時全日本500ccで活躍中の上野真一と、この年ヤマハに加入して全日本に参戦しながらGPマシン、YZR500の開発に携わっていた河崎裕之のペアが「チームレーシングスポーツ」から参戦。カウルのスピードブロックは、ヤマハチームの決意を示唆した。予選を6位で通過すると、決勝では順調に周回してトップに迫る。終盤に入り日本人最高位となる4番手に浮上して場内を沸かせるが、チェッカーまで残り数周というころでスローダウン。
このときマシンを駆っていた上野はメインストレートのプラットホーム側のゴールライン直前にマシンを止め、チェカーを待つ作戦をとる。この停車で1台に抜かれたが、その直後に無事ゴールラインを通過しチェッカーを受け、182周・5位入賞を果たした。それから約1ヵ月半後の9月20日、西ドイツ・ケルンで開催されたIFMAショーで衝撃が走る。前傾低重心5バルブ新型エンジン搭載の「FZ750」が1985年モデルとして登場、ヤマハ4ストロークへの期待が高まった。