LEGENDARY MACHINES
これまでに、鈴鹿8耐を彩ったヤマハのマシンを紹介します。
ヤマハ4度目の8耐制覇を飾ったマシン。#45のコーリン・エドワーズ(米)/芳賀紀行組が214周、当時の大会新記録で優勝した。この年、ヤマハはWSB参戦2年目で、WSBに参戦していたエドワーズが芳賀と組んだ。芳賀はこの年、全日本SBに「テクノモーターエンジニアリング」からYZF750SPを駆り参戦していたが、春先のSUGO大会で初優勝を飾って調子を上げていた。そのコンビが予選6位から決勝に臨んだ。
前年の覇者、岡田忠之/A・スライト組(ホンダ)がホールショットを奪ってレースが始まるが1回目のピットストップを終えた後、スライトをはじめ有力ライダーが相次いで転倒、戦線から脱落していった。この時点でトップ争いは青木拓磨/C・フォガティ組(ホンダ)と#45の2台。激しく順位を入れ替えるスプリントさながらのバトルが繰り広げられた。しかし中盤の103周目、この時トップにいたフォガティが転倒。エドワーズ/芳賀組がトップに浮上すると、その後は一度もその座をあけ渡すことなく、独走でチェッカーを受けた。
これで8耐最年少優勝記録を更新した芳賀(当時21)は、翌1997年に全日本SBを制覇すると1988年はWSBに進出、そしてGP500へと活躍の場を広げていった。エドワーズもその後世界の舞台で数々の戦績を残し2012年もMotoGPで活躍。この8耐優勝&YZF750は、2人が世界へ羽ばたく跳躍台となったのだ。