Blog

2021

「航汰のゴールはもっと先にある」吉川和多留監督

2021.05.20

210520_001.jpg

2017年、阿部光雄監督、難波恭司監督からのバトンを受け取った吉川和多留監督。YAMAHA FACTORY RACING TEAMの中で、チームメイトでありライバルである中須賀克行選手も巻き込みながら野左根選手の成長を支え、日本のトップライダーへと導いた4年間について語っていただきました。

まだ航汰が子どもの頃。125ccに乗り始めたぐらいだったと思います。筑波サーキットの1コーナーで、チームノリックの1期生だった航汰をはじめ、近藤湧也選手、山田誓己選手が走っている姿を、阿部さん(阿部光雄監督)に紹介してもらったのが最初でした。その時は皆が子どもだったので、どちらかというと阿部さんが一生懸命やってるな、という印象の方が強かったですね。

気にするようになったのは、J-GP2で好成績をあげチャンピオンを獲ろうかという頃。オフセット量が大きいイマドキのライディングフォームも目を惹きました。実は、中須賀選手に続くライダーとしては佐藤裕児選手がいましたが、彼がオートレースに進んだことから、次の候補を探す必要があり、その候補の一人が航汰だったことは確かです。

210520_002.jpg

ただ、J-GP2までの成績は鵜呑みにはできないという考えがあったので、本格的に目を向けたのはユース時代から。難波さん(難波恭司さん)が率いたYAMALUBE RACING TEAMとファクトリーは密に連携しており、どんなマシン、タイヤを使っているか、バイクの理解度やトレーニング状況などの情報を共有しながら見ていました。航汰の世代は皆、レースに対してガツガツしていない印象があったのですが、その中では負けん気は強い方だったし、成績もしっかりと残していたことから、ファクトリー昇格となりました。

ユースで経験を積んできたとはいえ、ファクトリーのバイクは足回りもエンジンも別モノ。言い換えると、乗り手のレベルが高くないと速く走らせることができない仕様です。だからといってチームとしてはマシンのレベルを下げることはしません。ファクトリーチームは容赦しませんから(笑)。ポル、スミス、アレックス、マイケル、そして中須賀選手で証明してきたように、スキルがあれば速く走れるバイクに仕上がっているので、最初は中須賀仕様にそのままに乗ってもらい、航汰自身に変わってもらう、乗り越えてもらうこととしたのです。

210520_003.jpg

最初はたくさんの苦労があったはず。全日本最速のバイクに乗ってみたものの、思うようにタイムを導き出せない。でもどこをどう頑張れば良いのかわからない状態だったと思います。そこでこちらもどう接していこうかと、最初は手探りでスタートしたことを覚えていますが、最初にやったのはセンサーを作ることでした。走るたびに大切なポイントについてヒアリングをし、自然にそれを意識して走るように仕向けていくことでセンサーが作られます。セッティングを変えた時なんかは、そうしたやりとりが非常に効果的ですが、センサーを置かせる側である私やエンジニアのスキルも実は重要です。コースよってポイントがあり、バイクで変えていく部分、ライダーのスキルで高めていく部分、そのすべてを踏まえてセンサーを置く必要があるからです。

210520_004.jpg

さらにチームには中須賀選手がいるので引っ張ってもらったり、コメントの仕方を教えてもらいましたが、それも非常に大きかったと思います。なんといっても同じ仕様のバイクで走っているので、感覚の伝わりやすさが違いますから。実は、中須賀選手がチームに入った時も近いことをやってきました。その時は私が実際に乗り中須賀選手の役割をしていたわけです。航汰の成長のために中須賀選手にも変化してもらい、ライダー同士の師弟関係をつくることも同時に行っていたということです。

210520_005.jpg

ファクトリーに入ってからの航汰は、確実に成長を遂げていってくれました。そこには本人の努力もありましたし、持っている才能もあったと思います。例えば、あれだけの深いバンク角で走っていてもなんとも思わない、深いバンク角の住人であること。それは中須賀選手を含めたライバルにとっても驚異的な武器。トータルではライバルに届かなくとも、ポイントで見ると航汰がズバ抜けて速いところが存在したりするわけです。

210520_006.jpg

実際、2年目あたりからは航汰のライディングスタイルに合ったサーキットで、かつ条件が揃ったレースでは、中須賀選手と終盤まで接近戦を演じられるようになってきました。

3年目ともなると、基本的にはどのサーキットでも中須賀選手にしっかりとついていくことができるようになり、そこからは体力的な部分などの強化するため、R1、M1のテストで意図的に周回数を上げるなど改善を図っていきました。また、中須賀選手にもっと勝負していくことでしか得られないブレイクスルーがあるので、勝負するようにプレッシャーをかけていったので、超えるためにはどうすればいいかを相当考えたと思います。別のアプローチもいくつか行いました。将来の目標を聞いて、そのためにはどうすべきかを真剣に考える機会を作ったのもその一つですが、一番のトライはバイクの仕様変更です。

210520_007.jpg

劇的に変えるわけではありませんが、中須賀戦選手の仕様を卒業し、航汰の得意な部分、良いところを伸ばしていく仕様を探り、航汰独自の強みを伸ばすことで中須賀選手に仕掛けるポイントを作っていったのです。これは大きな効果があり、自覚も出て欲も強くなり、前のめりになっていった。さらにスキルやバイクへの理解度も上がっているため、仕様、セッティングが変わるとタイヤも違う選択になりますが、同時に戦略も変わっていくことで、より接戦を演じられるようになり自信もついてきたのです。

210520_008.jpg

そして2020年、開幕戦SUGOで中須賀選手がアクシデントにより戦線を離れたため、このタイミングを生かして航汰が両レースで優勝して一気に流れを掴み6連勝を遂げます。特に成長を感じたのは第4戦もてぎのレース2。序盤から逃げて独走優勝でしたが、実は、2年目あたりからもてぎが得意だったので、スタートから全力で攻めて逃げ切ってこいという話をしてきました。ただ当時は体力的な部分、消耗したタイヤを扱いきれないということがあったので、なかなか実行できなかったのですが、それができたということは、成長していることを証明していると思います。

それでもまだ発展途上にいるライダーです。良い意味で感覚的にバイクに乗りながら、考えることもできる。しかもレースを行う上での条件に細かく縛られることもなく、ピレリタイヤや新チーム、生活環境を受け入れることができるので、スーパーバイクにチャレンジするには絶妙なタイミングだと思います。

航汰を受け入れるチームもしっかりしているので安心しています。初めてのコースばかりで、ライバルは皆ハイレベルなため気が抜けないとは思いますが、それを楽しんでチャレンジしてほしいですし、自分に合ったコースが見つかれば表彰台も狙えるはず。でも、かつては私もスーパーバイクで戦った経験がありますが、口でいうほど甘くもないのも確か。いずれにせよ、ファンの皆さんには航汰の全てに注目してもらい、日本からになるとは思いますが、応援で航汰のチャレンジを支えていただけたらと思います。まずはこの週末、航汰の活躍に期待したいと思います。

210520_009.jpg
 
Go to Top