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2021

「経験と自信を植え付けた2年間」難波恭司さん

2021.05.17

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2015年、若手育成をミッションに発足したYAMALUBE RACING TEAMの監督として、チームノリックの阿部光雄監督から野左根選手の育成を引き継いだ難波恭司さん。レーシングライダーとして、開発ライダーとしてのノウハウを野左根選手に注ぎ込んだユースチームでの2年間を振り返っていただきました。

ヤマハが「YAMALUBE RACING TEAM」を立ち上げたのは2015年。目的は、ヤマハのロードレース活動を担う人材、「ポスト中須賀」を育てること。トップライダーでありながら、レーシングマシンを理解し、その開発プロセスを理解したライダーの育成でした。もう一つ加えると、ヤマハのMotoGPマシン「YZR-M1」の開発を担うことができるレベルのライダー育成であり、それを進める環境(手段)が全日本ロードレース最高峰のJSB1000で、野左根選手はその一人として選ばれたわけです。

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野左根選手にとってヤマハの存在は、それまでのチームノリックとはまったく異なり、求められるものもまた広がって大きく変化していたはずですが、十代の若者にはすべてを理解できていなかったと思います。私は、そんな彼にレース、バイク、開発プロセスに関する知識、バイクから何を感じ、どう伝えるかという基礎を学んでもらい、ヤマハが目指す場所へと導いていくことがミッションでした。

実は、野左根選手のことはチームノリック発足時から知っており、J-GP3、J-GP2、JSB1000へとステップアップしていく間もずっと見守っていました。なぜなら、アベノリ(阿部典史選手)が後継者の一人として見染めたライダーであったことから、野左根選手には将来、ヤマハを背負って欲しいと思っていたからです。ところが、そのアベノリがいなくなってしまったことから、いつかアベノリの意志を受け継がなければという意識が芽生えてきました。

一方で、自身もヤマハに育ててもらいその恩返しがしたいという気持ちもあったので、チームの監督として野左根選手の成長を支えていくことになって喜びを感じていました。

実際、私たちが描いた育成のストーリーは、2015年に新型YZF-R1が導入されたこともあり、ストックの状態からスタートし、JSB1000という最高峰クラスの上位で戦えるマシンへの開発を、レースを通じて一緒に進めていくというものでした。トップライダーたちに挑みながら開発プロセスを歩むという、様々な経験を積める環境を用意できたということです。

実際の道のりは、トップのライダーと渡り合うには何が足りないのか。それを補うために何を加えるべきか。新たに加えたものによってR1はどう変化したのか... 地味な作業ですが、これを繰り返しながら感覚を研ぎ澄まし、言葉にしてもらったわけです。自分が同じ年齢の頃のことを思うと当然のことですが、これは簡単なことではなく、野左根選手も思うようにこなすことができず、多くのストレスを抱えていたと思います。

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ただ、幸いなことにヤマハにはトップチームがあり、そこで輝く中須賀克行選手という明確な目標が見えていたことで、乗り切れた部分はあると思います。同時に、マシンの開発も進みラップタイムや成績が上がっていく中で、野左根選手も成功体験を重ねて自信を蓄え、たくさんの引き出しを持つようになっていきました。そうなってくると、レーシングライダーとして貪欲になり、自ら意見、要求が出てくるようになったのです。チームもそれを受けて応えようとハードワークを行うという良い循環が生まれ、チーム全体がアップデートされていったことを覚えています。

ユースでの2年間はあっという間でしたが、2015年は第3戦で初の3位表彰台に立つなどランキング7位。2年目はさらに成績を上げランキング5位と確かな成長を見せてユースチームを卒業。2017年からファクトリーへとステップアップを果たすことになります。

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当然ですが、この時点ではまだまだ大きな伸び代を持った状態で、完成したとは思ってはいませんでした。自分を磨くことへの貪欲さ、バイクのこと、開発のことなど、もっと伝えておきたいことはあったのですが、さらに要求が高くハイスペックなマシンで開発を行い、かつ成績を求められる厳しい環境に立つこと。同時に最強のライダーである中須賀選手の側で学ことができるという意味で、中須賀選手と比較され大きく意識を変えなければならないファクトリーチームへの加入は正解だったのだと思います。

実際、ファクトリーチームに在籍しての4年間、客観的に野左根選手を見ていましたが、言葉と走りに自信が漲ってきて、大きく成長しました。吉川和多留監督を中心としたチーム、なかでも中須賀選手が野左根選手に歩み寄って支え続け、野左根選手もそれに応えようと挑んでいった結果だと思います。

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ユース時代、私は野左根選手に、「中須賀選手から学べるものはできる限り学びとって欲しい。でも中須賀選手になって欲しいわけではない。学ぶ中で野左根航汰らしさを見出して、誰にも真似できない強さを身につけて欲しい」と話をしていました。その「野左根航汰らしさ」として私が感じていたのがアベノリに通じるものでした。

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転倒を恐れず、自身の限界に挑んでいける姿勢。スイッチが入った時の手が付けられない爆発力。こうしたメンタルやスイッチは誰もが持てるわけではありませんが、それを持っていること自体がアドバンテージであり、大きな魅力だと思います。ユース時代はメンタルのコントロールやスイッチの押し方をまだわかっていませんでしたが、ファクトリーに入ってから徐々にコントロールする術を身につけていきました。まだ完璧な状態ではないと思いますが、それをコントロールできるようになった時には、さらに強いライダーになれると確信しています。

ヤマハとして日本人ライダーのWSBK参戦は、2008年の芳賀紀行選手以来と、久々の参戦になります。アベノリから、阿部光雄監督、吉川監督、中須賀選手、そして私も含め、多くの人々に支えられ育ってきた全日本のトップライダーの活躍に期待は膨らみますが、言語や文化の違う世界でフルシーズンを過ごすことは、ライダーとして、人としても成長できる機会。きっともっと大きく強いライダーになってくれると信じて見守りたいと思います。

まもなくシーズンは開幕します。トップ10、いやトップ5を視野に、ゾクゾクさせてくれるレースを見せてくれるはずです。ぜひ、ファンの皆さんも、野左根選手の応援をよろしくお願いします。

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