INTERVIEW

Looking Back on the 2018 Season

日本のファンとアメリカを驚かせたい

AMAモトクロスでのチャレンジを終えた渡辺祐介は、そのシーズンを振り返り「悔しいシーズンでした」と語った。この一言こそが全日本IA2チャンピオンを獲得し、トップライダーとして十分な地位を築いた渡辺が、そのすべてを投げ打ってまでAMA挑戦を選んだ決意の現れである。

「小学生の頃からAMAはずっとTVで見てきました。夢でしたね。ヤマハと契約したのが2014シーズンからですが、2015年には“チャンピオンになったらアメリカで走らせてください”と伝えていました」。そこからトップライダーへと駆け上がった渡辺は2018年、ついにAMA参戦を実現させる。「これからが本番だとわかってはいましたが、小さい頃からの夢が実現しやっぱりうれしかったし、ワクワクしましたね」と、その当時を振り返る。

時は2015年に遡る。ヤマハはロードレース、そしてモトクロスにおいて、若手ライダーの育成と彼らの可能性をグローバルに広げるという視点で、「アジアから世界へ」というロードマップの作成に着手した。モトクロスにおける最初の一手は、全日本に若手を育成するユースチーム「YAMALUBE RACING TEAM」を発足することだった。そのライダーに、若く、実力と将来性があり「上昇志向が強く」「チャレンジ精神旺盛」な渡辺選手を抜擢したのは必然だった。

「全日本チャンピオンは通過点。アメリカで戦える心技体を手に入れる」という渡辺の志に対し、チームも世界を照準に次の一歩を進めた。AMAで活躍した経歴を持つダグ・デュバック氏をアドバイザーに据えたほか、シーズンオフはダグ氏とアメリカ合宿を実施し、全日本ではメンタルトレーナーを導入するなど、世界への道筋を作りつつ渡辺をサポート。まさにヤマハの戦略と渡辺の強い意識が絶妙に重なって成長は着実に進み、2017年、IA2のチャンピオンを獲得。同時に渡辺は「3D Racing」からAMAモトクロスへのフル参戦が決定したのである。

チャンピオン獲得、AMAフル参戦の決定と喜んだのも束の間、シーズン開幕に向けて行ったアメリカでの合宿中だった。「全日本ではチャンピオンが一つの終着点。でもAMAでは、スタートラインに立てるか、立てないかのギリギリにつけたに過ぎませんでした」と、渡辺は改めてAMAの厳しさ、自分の置かれた位置を再確認していた。だからこそ開幕戦のハングタウンに向けては「完璧な準備」で臨んだ。にもかかわらず「ガチガチでした」と話す通り、34番手で予選を通過しAMAデビューを果たしたものの、決勝は30/26位、ポイントにはかすりもしなかった。それ以上に渡辺自身が内容に絶望していた。「ただ走っただけ。こんなに疲れないレースは初めてでした。完璧な準備をしたにもかかわらず、何もできないまま終わってしまった自分に腹が立ち、落ち込みました」

2戦目のグレンヘレンはわずか7日後。「切り替えるしかなかった」というが、全日本時代にメンタルトレーナーとやってきたことや、ダグ氏のアドバイスが渡辺を立ち直らせる。結果は25/22位。「グレンヘレンが経験のあるコースだったことも含め、本当に上手く切り替えができたし、この時点で決勝に進めさえすればなんとかなるという感触をつかみました」

しかし、「決勝に進めさえすれば」という言葉が示す通り、もう一つ大きな壁があった。実は当初、ダグ氏は予選の半分は通過できないという予想をしていた。「250クラスには25-26台のファクトリーがおり、ほとんどが未知のコースで、公式練習のないまま予選となります。しかも2周目から知らないコースを全開でアタックしてタイムを出さなければなりません。確かに予選の半分を通ればよいと言われたけど… 全日本チャンピオンが予選で落ちるわけにはいかないし、なによりAMAに参戦する意味がない」。渡辺には常に、全日本では味わったことのない「恐怖心」がつきまとっていたのだ。

結果的に最終戦のマシントラブルで予選を落ちた以外はすべて通過しているが、「絶対的なスピードアップとともに、ダグさんにアドバイスをもらいながら、走り出してすぐに全開にするトレーニングなどを行いました。こうした練習の成果もあり、少しずつ予選にも慣れてきて、コンスタントに通過できるようになりました」

そして次に渡辺が目指したのがポイント獲得だったが、最終ラップまでポイント圏内にいたレースが3つあったがすべて逃し、結局1ポイントも取れないままシーズンを終えることとなった。「僕がアメリカに渡ったのはAMAで思い出づくりをするためではありません。ヤマハのため、自分のために、アメリカで認められ、アメリカで契約できるライダーになりたいと思っていましたが、爪痕を残すことはできませんでした。ただ、目標を持っていなかったら、今ごろ叩き潰され凹んで、いや凹むこともなくヘラヘラと帰ってきていたことでしょう。実際、僕は見事なまでに叩き潰されましたが、ポイント圏内の背中が見えたことで、最低限、這い上がるための原動力“悔しさ”は得ることはできました」

そして話は、来シーズンに及ぶ。「圧倒的な実力差を突きつけられ、予選落ちという恐怖、底辺にいる悔しさと付き合っていく日々は本当に辛く厳しかった。その中で、予選をかいくぐり、決勝を戦う中で多くのものを得ることができました。でも、満足していないしまだ何も成し遂げていないから、アメリカに行ってよかったなんて口が裂けても言えません。だからもし来年もチャンスがあれば… 今度こそ日本のファンとアメリカを驚かせたい」と渡辺。ギラギラと燃えるその目は、すでに次を見つめている。