中須賀克行選手がチャンピオンを獲得した10シーズンを、当時の写真とともに振り返ります。
2005年、それまでのGP250からステップアップし、「SP忠男レーシングチーム」からJSB1000に参戦を開始。この年、ランキング12位となるが、2006年、当時のヤマハトップライダーであった中冨伸一選手がスーパーバイク世界選手権に参戦することが決定したことから、ヤマハトップチーム「YSP Racing Team sponsored by PRESTO Corporation」のライダーに抜擢された。
2006年は未勝利でランキング9位に終わったものの、現YAMAHA FACTORY RACING TEAMの吉川和多留監督を中心に、様々なサポートを受けながら力をつけ、2007年、地元九州の第4戦オートポリスで念願の初優勝。その後は安定して上位に食い込む強さを身につけ、翌2008年に初のチャンピオンを獲得。2009年は、「YSP Racing Team」のエースとして連覇を達成し、国内トップライダーへと上り詰めた。
2010-2011年はチャンピオンを逃したが、2012年、初優勝と同じオートポリス(第7戦)で通算10勝目を達成するなど自己最多の年間4勝で2度目のチャンピオンとなった。なおこの年には、MotoGP世界選手権の最終戦バレンシアGPに代役で参戦し2位表彰台を獲得している。ここから連覇を重ね2014年には、ヤマハライダーの平忠彦氏、藤原儀彦氏の最高峰クラス3連覇に並び、レジェンドの仲間入りを果たした。
さらにギアを上げたのが、「YAMAHA FACTORY RACING TEAM」が復活し、相棒となる「YZF-R1」がフルモデルチェンジを果たした2015年。ファクトリー体制を力に躍動し、8レース中7勝を獲得する圧倒的な強さで先人を超える4連覇。2016年には9レースで6勝をあげ、自身の記録を塗り替える5連覇を達成し、異次元の領域に足を踏み入れた。
2017年は、年間最多となる5勝をマークするもランキング6位と低迷したが、YZF-R1誕生20周年を迎えた2018年には、12レースで自己最多となる8勝をあげタイトル奪還に成功。またこの年には、2015年からファクトリーチームで参戦していた鈴鹿8耐で、怪我により走行こそできなかったものの、ヤマハとして新記録、個人として4連覇を達成している。
続く2019年は、JSB1000での通算50勝をマークし、ベテランの域に入りながらも全く衰えることなく9度目のチャンピオンを獲得。2020年は1勝でランキング7位に終わったものの、2021年は完全復活。開幕から一つの中止を挟んで5連勝と、圧倒的な強さで勝利を重ねた中須賀選手は、鈴鹿サーキットでの第53回MFJグランプリの2レースを勝利。ヤマハにとってWGP参戦60周年という記念すべきこの年に合わせるかのように通算60勝を達成するなど、1967年から54シーズン目となる全日本ロードレースにおいて、前人未到となる数々の記録を打ち立てながら10度目のチャンピオンを決定した。
2005年以来、17シーズンで110大会・140レース(中止された6レースを除く/ヤマハ調べ)を戦ってきたが、60勝という数字もさることながら、4割を超える勝率、そして転倒などにより怪我もありながら、それを乗り越えて参戦を続けてきたこともまた、中須賀選手の規格外の強さを象徴している。
中須賀選手が2005〜2021年のJSB1000参戦中に記録した様々なデータをまとめました。
※2021年第5戦終了時
※大会/レース数の合計は中止を除いた数字です
中須賀選手が10回のチャンピオンを決定するまでに獲得した大記録となる60勝を写真にて振り返ります。